俗幻の小説を残す意義
meiさんの質問に対する回答
「アルカを残す」ということが主眼のようですので、主にその観点から答えさせていただきます。
「小説資料は本当に必要か」
俗幻の使用実態を残す、あるいは発展させるという意味で、有益と思います。
使用実態を残すという意味では、twitter上での呟きややりとりをまとめておくことも必要ではないかなと最近思います。
「素人が執筆したものは資料足り得るか」
ある意味で俗幻の使い手は素人しかありえないのですべて一級の史料たりえます。
「小説を書くにあたってどうしても比喩表現が発生したりするが、俗言語として追加しても良いのか」
比喩表現については、造語時と同じく妥当性に対する吟味が必要と考えます。
「データはどのような形で公開し、残すべきか」
htmlが保存性・検索性の意味で良いと思います。
pdfだと紙に印刷してもらえる可能性が高いです。
他の媒体はのちのち扱えなくなる可能性が高そうです。
「形式は既存のアルカの小説を踏襲すべきか」
形式や作り、小説特有の書き方に関しては、アルカの特徴というよりもセレンさんの特徴というべき部分も多いでしょうから固執する必要はないと思います。
「日本語対訳は必要か」
必須と考えます。2つ理由があります。
- 非母語で書くものなので、ミスがないことはありえないし、ミスがあったときに意図と異なる解釈をされる可能性が高いため。
- 将来の人が読んだとき、アルカに変化が生じていると読み解くのが難しい。また、言語の変化を感じ取りにくいため。
「アルバザードを舞台にしても良いのか」
良いと思います。むしろ、アルバザードが舞台でないとアルカを使う根拠に乏しいのではないでしょうか。
「既存アルカ小説での固有名詞は、個人名でなく組織や建物は、(おそらく読者の便宜を図るため)幻日に登録されていたりするが、俗幻ではどうすべきか」
まずはキリがないので登録しないほうが良さそうです。
ただし、今はまだ事例がないものの、俗幻使用者の間でデファクトスタンダードとなるような設定が将来的に出てくれば記載する必要があるかもしれません。
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