2015/04/19 02:12:30	seren◆Irq7AFcfv2	ivl	［名詞］教育、教養 \ ［類音］tels \ ［レベル］３ \ 14:制:tolxの対だが、意味的にあまり対だと意識されないので残した。 \ ［文化］ \ ・家庭教育と学校教育 \  \ アルバザードで教育というと家庭と学校の２場面に大別される。アルバザード人は３歳になる年（２歳）から学校に行くので、学校教育が子供に影響を与えるウェイトは大きい。 \ アルバザードは多文化社会なため、各家庭ごとに教育方針が異なる。総じて言えることと言えば、親が学校教育を経ているので、学校でやるような教育を家庭でもしがちということが挙げられる。 \  \ では学校教育はどのようなものかというと、それは生徒の家庭ごとに合わせたものではなく、各学校の教育方針に基づいたものであり、親は教育方針を見てどこの学校に通わせるか決める。 \ ただ実際にはいちいち学校の教育方針を見て学校を選ぶという家庭は少ない。ごく一部の上流階級だけがそういったことをする。たいていは公立の学校に行き、manakaまではよほどの学力がない限りは最寄りの学校に通う。この辺りは日本と同じである。 \  \ 学校教育は学校ごとに方針が異なるが、おおまかなところでは国レベルないし州レベルで一致している。 \ アルバザードの学校において総じて言えることは、徳育＞知育＞体育の順で注力するということである。特に、学力が上の学校ほど徳育にも熱心である。 \  \ アルバザードの学校は日本と異なり、学科の勉強をするところというイメージよりも、人間としての勉強をするところというイメージである。 \ つまり、学力だけでなく、人間性を鍛えることが重要となる。 \  \ ・日本と異なる授業体系 \  \ 日本はいわゆる詰め込み式の教育をしており、ゆとり教育においてもその原理は変わらない。 \ 日本の教育の原理は教師から生徒への一方通行な知識の伝授である。 \ 対して個人主義で言葉の力を重視するアルバザードでは、自分の考えを自分の言葉できちんと説明し、等身大でありのまま主張することが求められる。 \ このため、アルバザードの授業は双方向性があり、基本的に対話式である。教師は生徒に一方的に物事を教えるのではなく、生徒に意見や考えを述べさせ、対話の中で授業を形成していく。 \ 数学のような科目ですら、インタラクティブに授業が進んでいく。例えばある公式を教える際、日本では公式の証明を教師が実演し、暗記を要求する。アルバザードでは、卑近な例を取ってそこから公式を生徒に帰納させ自解させるようなやり方を取る。最初からいきなり公式を見せない。卑近な例を取ってそこから式を一般化させ、公式を帰納させる。つまり、自分たちで考えさせる。この間、生徒たちは黙って聞いているのではなく、周りの生徒と相談しあい、教師に質問をしつつ、公式を練りあげていく。 \ 公式を提示して覚えろというのではなく、どうしてこういう公式があるのか、どうしてこういう公式になるのかなど、「なぜ」かを考えさせる。こうして自分たちで導出した公式というのは忘れにくい。 \ 日本のように詰め込み式でとにかく覚えろというスタンスだと一見時間はかからないが、本当にその公式のなんたるかを理解しているわけではないので、すぐに忘れてしまい、復習で二度手間三度手間になってしまう。アルバザードの場合、よくよく理解させるので、忘れてしまうということが少ない。 \ 日本では途中式を重視しないが、アルバザードではどうしてその答えになったのかを異様に気にする。ひとつの式を展開したことについてすら、どうしてそこで展開したのか、そこで展開する意味は何か、何のためにそこで展開したのか、そこで展開するメリットは何かなど、細かく途中式を分析する。余分で冗長な途中式はないか、もう少し合理化できないか、逆に過合理で他人が見たときに分かりにくい説明不足な途中式になっていないかなど、細かく見ていく。 \ そう、日本だと数学は詰将棋のように最短手が美しいとされるが、アルバザードだと、数学は言葉と考えられており、最短手は舌足らずと考えられている。美しい数学とは説明が過不足なく、より多くの人にとって分かりやすく無駄がないものを指す。最短手は機械人間の言葉としては優秀だが、人間の言葉としては劣っていると考えられている。 \ アルバザード人は自分の言葉で自分の考えを他人に伝えるということを重視している。説明不足だと相手は分かってくれないし、相手に腹芸を強いて多解釈や誤解を生じかねない。かといって冗長でも相手は時間を無駄に思って聞いてくれないし、相手の時間を過度に奪うことは失礼だと考えられているので、過不足ない説明が求められる。 \ その考え方が国語だけでなく数学にも及んでおり、最短手よりも過不足のない親切な教材のような相手の理解を促進させるような相手のことを考えたコミュニケーション力の高いやり方のほうが好まれるというわけである。 \  \ アルバザードの教師はとにかく「なぜだ？」を連呼する。生徒はそれを必死に考える。逆に生徒も疑問を持ったら「なぜだ？」を教師に浴びせる。教師は説明責任があり、過不足ない分かりやすい表現で生徒に説明する必要がある。このため、教師という職は日本よりも難易度が高く、必然的に教師の質は高く、社会的地位も高い。 \  \ アルバザードでは対話式の授業が大半で、教師が主に喋ることは日本と同様だが、教師は一方通行で知識を与えるものというよりは、ディベートの司会者的な存在である。 \ 生徒同士も活発に議論を行い、考察をし、お題である「なぜか」について考える。こういう教育は非常に回りくどく、詰め込み式教育に比べて問題数を捌けない。しかしこういう教育は忘れにくく、また、問題の本質を生徒は理解しているので、新しい問題を見たときに解き方を自解することがしばしばある。 \  \ ・年齢ごとの教育 \  \ アルバザード人は一般に子供の年齢に応じて次のような教育を施す。 \  \ ５歳：才能を開花させるような訓練を始める。一流ピアニストだスケーターだというのは大体この時期から始めることが多い。５歳まではその子に何が合うのか見極める期間である。日本だと２歳くらいから習い事をさせる親もいる（アルバザードにもいるにはいるが）、２歳くらいだとその子の自我も確立しておらず、適性も分からない。５歳くらいになってくるとおおまかその子がどんな性格の子か分かる。そこで子供に合った一生ものの技能を習得させようとする。が、しばしば思春期になると子供が自分の意思で方向性を転向してしまうこともある。 \ １０歳：使命を与える。これは歴史的にリーザ、セレン、ミロクなど、１０歳で使命を与えられ全うしてきた偉人が多いため、アルバザード人は１０歳というのは偉人にとって自分の一生の使命を与えられる時期だと考えている。凡庸な者は使命を与えてもこなせず、転向してしまう。使命を与えるということは幼少期の親から至れり尽くせりを受けていた時代が終わり、徐々に自立を促される時期でもある。 \ １２歳：自立の時期。思春期の開始で、ここからmaltになる。maltになると自立を促され、親からの庇護及び束縛が一気に緩まる。１２歳になるまでアルバザード人の親は子供を動物のように扱い、支配的に育てるが、１２歳になると個性や子供自身の意思を尊重するようになる。子供のうちは動物と同じで適正な判断ができないと考えられているため、親が価値観から正義感から着るものに至るまでどうあるべきかいちいち手塩にかけて世話してやる。また、１２歳になるまでは子供を猫のように可愛がり、スキンシップも非常に多い。子が親に逆らうことは許されず、親は必要に応じて言葉だけでなく折檻して教育しても良い。その代わり親は子供にあらゆることを手取り足取り教え、互いにベタベタとくっついて濃厚なスキンシップを取り、親は子を無償の愛で可愛がる。それが１２歳になるとなくなり、スキンシップは減り、親から与えられる無償のサービスも減り、子供は自分の意思で考え動くことを要求されるようになる。親との接点は徐々に減っていき、アルバザード人本来の個人主義になっていく。基本的にこの時期になると日本人から見てとたんにアルバザード人の親は放任主義に転向したかのように見える。要は動物の子離れのようなもので、それがこの国でははっきりした形で現れるということである。 \ １５歳：試練が与えられる。これは神話で偉人たちが１５歳くらいに何らかの試練を与えられてきたことが背景にある。子供は更に大人に近付くための試練を与えられ、それを乗り越える必要がある。親からの自立圧力も更に高まり、親との接点も減る。親は何かあったときのアドバイザー的な役割でしかなくなる。子供が負う家事手伝いの領分も増え、自立を促される。 \ ２０歳：成人し、子供は親から完全に離れ、親の支配から完全に抜け、個人としての責任を負う。子供が２０歳になれば子供が何をしても親には一切関係がなくなる。親とは個人対個人の付き合いをし、支配関係はなくなる。むしろ親が後に老いれば子が親を扶養し、子が親を支配する関係に逆転することもある。		telx	telx
