mana(2)
[言語]京極
[レベル]
21
[文化]
→hac, koimanlen, kozue, yuki

<概要>

ハーディアン発祥で、現アルティア、ロロスで使われる表意文字。アルバザードでは特にカレン州で多く用いられ、アルナ等でも日常的に見ることができる。ルティアでもsmの支配後は公用文字のひとつとなっている。結局ルティアも用いていることからアルバザードへの影響もさらに大きくなり、アルシアなどでも多くの京極を見ることができる。
京極は地球の漢字に相当する文字で、漢字と同じように造字力が極めて高いため、文字数は厳密には計れない。漢字は俗に5万字と言われるが、閉じた体系ではないので採録を増やせばもっと増えるだろう。それに関しては京極も同様である。ただ漢字が日常的に1000~2000の範囲で収まっているのと同じく、京極もやはり日常的にはその程度の範囲に収まるようになっている。
最初は甲骨などに刻んでいたが、上代以降紙や墨を用いるようになり、書体も増えた。文字は縦書きで、右から始まる。アルカ同様左からの横書きにすることもできる。元は横書きの場合は右からだったが、アルカなどの影響で現代ではアルティア本土でも左からになっている。
京極は世界で最も複雑な文字とされ、その扱いは地球における漢字に相当する。アルバザードでは外国語の授業で京極を覚えさせられることがあり、学生にとっては悩みの種となっている。

<構成>

主に象形、会意、指示、形声で構成される。漢字と同じく線形性の強い文字であるため、画数の少ない文字では必然的に漢字と字形が重複するケースがある。異世界のことなので、重複してもハーディアン人は知る由がない。例えば口という字は象形で、幼字のkuの字が元になっており、「回」のような字である。マワルと混同しないよう注意する必要がある。同じく手は幼字のwaからできた象形で、字形は「山」のようである。これもヤマとの混同に注意がいる。いずれにせよ画数の少ない字は必然的に何らかの文字に似る可能性が高い。漢数字の二とカタカナのニもそうだし、幻字とアルファベット間でも同様である。画数が少ないほどデザインに幅が出せないからである。なお、意味も形も同じ字も少数ながら存在する。そのような文字は象形に多い。例えば「月」がそうである。これは幼字のduurgaから来ている。

京極は漢字と比べて会意形声の比率が大きい。「讃」という漢字はごんべんに音価がないが、京極のxiwa(手)は篇と旁の音を合わせているため、会意と同時に形声になってる。京極にはこのような会意形声が多い。その分形声は相対的に減る。
なぜ形声が少ないかというと、それは漢字の元になっている中国語とハーディアン語の音節構造の違いに起因する。現代中国語には39の韻母があり、実際にはこれにr化が加わる。また声母(頭子音)は22種存在する。これに声調が4種存在する。従って単純計算だと3432種の音節を区別することができる。
一方ハーディアン語は音節が93種しか存在しない。これでは形声の効果が弱い。もちろん漢字は3432種の音節を使い分けて形声をしているわけではないが、ポテンシャルの違いは歴然である。93種の音節では形声よりも会意形声にしたほうが同音異義語を減らせる。会意形声にすれば単純計算で8649種の音を区別することができるためである。

京極は世界一難しいと言われるが、恐らく漢字と比較しても難しいといえるだろう。セレンの所感では日本語の漢字並に難しい。その理由は読みにある。京極、特に極字ができる前からハーディアン語の和語は存在した。極字は和語の音より意味を表現することを主眼としたため、漢字でいう当て字が極めて多い。つまり秋刀魚で「サンマ」と読ませるようなものが多いということである。
これは日本人ならば理解できるかもしれない。空は「クウ」という文字だが、和語では「ソラ」以外の何物でもない。漢字を手に入れた日本人は音を優先して万葉仮名のようにソラを表記することもあったが、結局は意味に注目して字を選び、読みは和語のまま保持した。つまり空という字を借りつつ、音はクウでなく和語のソラを維持した。
極字はハーディアン人にとって借り物ではないが、和語の音が先に存在し、その意味を取るために極字を作ったという背景があるため、結局日本語の漢字のような複雑さを持っている。
ハーディアン人は基本語には文字のパーツ(篇など)を設けた。そのため指(xixi)や手(xiwa)のような基本語はパーツの組み合わせで会意形声が成立する。その一方でkuluwa(言葉)のような抽象的な概念はこれが効かないケースが多い。kuluwaはハーディアン語で「口+車輪」が原義であるが、これは極字ができる前から存在した。最終的には祖語であるf_fvのku(口)やluu(動く)などに遡る。
では彼らは極字を作ったときにこのkuluwaという単語をどう表したか。口は基本語なのでパーツがあるが、車輪はパーツがない。車輪はほかのより基本的なパーツを組み合わせて作る。従って「口+車輪」を極字で書くと冗長になる。「言葉」という日常的に使う単語が冗長になるのは避けたい。
そこでハーディアン人たちはこのように考えた。「「口+車輪」よりも「ごんべん+口」のほうが簡単ではないか」と。こうしてkuluwaは口を表す「回」のような字と「ごんべん」に相当する「水」のような字を合わせた字となった。このほうが字形が単純で書きやすい。その代わり音と文字とが乖離してしまう。
ここで漢字なら形声の出番だが、上述のようにハーディアン語では音節数が足りなすぎる。かといって会意形声にするとkuluwaという音そのものが否定されてしまう。ゆえに音と文字を乖離させざるをえなかった。借り物ではない文字にも関わらず京極の読みが難しいのはこのような理由がある。
京極の難しさは群を抜いており、言語としての合理性で見れば愚にもつかないが、技巧性や芸術性では非常に長けており、目を見張るものがあると考えられている。特にアルバザードのような表音文字圏ではよく分からないことも相まって、テストの悩みの種であると同時に神秘的な存在とも考えられている。

<識字率>

アルバザードでの京極の識字率は学歴に比例する。一般的なアルバザード人は最も基本的な数百の文字は読めるが書けないというレベルである。学識が高いとより多くの文字を読み書きできるようになる。同じ学校でも文系と理系では文系のほうが京極の識字率は良い。
カレンやアルシアではアルティア人やルティア人が多いため、一般人でも識字率はよく、千字程度は読み書きができる。千字は少ないようで多い。日本人でも常用漢字約二千どころか半分の千字でさえきちんと書けるかといわれると昨今は怪しい人が多いのではないか。

<呼称>

京字と極字を合わせて京極という。極字を見てsanlaと言ってもmanaと言っても間違いではない。manaが基本でsanlaはより厳密な言い方なので、通常は極字だけ見ても特に厳密な区別が必要ない限りはmanaと総称で呼ぶことが多い。

<歴史>

・極字

1039000頃
カルセールのヴェマを本拠地とするサールの勢力が弱くなったことで、周辺諸国へのヴェマの影響力が低下する。この結果、東洋諸国特にヴェマから離れた地域において独自の文化が育つ土壌ができる。特に大陸の東端で防衛に適したハーディアンでは人の往来も少ないこともあり、閉鎖的な環境の中で独自の文化が華やいでいった。ハーディアンの最初の国風文化である。


ハーディアンは神との繋がりが弱く、神の筆記用具がヴェマ以上に手に入らなかった。人々は甲骨などに文字を刻んでいた。線種の多い幼字は刻むのには適しておらず(甲骨などに星型や三角や丸を器用に刻むのは難しい)、幼字の形は徐々にハーディアン建国以降簡略化され、線形化していった。
このころまでに既に文字は線形化され、直線を主とする字体ができていった。線形化に併行して幼字にはない文字が多く作られ、独自の文字を形成するに至った。これを極字という。

・節字

yuuma 2133
節字ができ、極字のルビとして用いられるようになる→hac

・京字

yuuma 3650
シフェラン、ハーディアン国のアルティア都市と同盟を結び、不可侵条約を締結。ハーディアンの首都ロロスはこの裏切りを遺憾としたが、内戦をしている余裕はなかった
yuuma 3651
シフェラン、ユロからハーディアンに進軍
yuuma 3655
シフェラン、首都ロロスを陥落。ハーディアン人は北の都市フィギットへ撤退し、フィギット国を建国
yuuma 3656
西へ散ったほうのハーディアン人がヴェマのヴォザモ地方に入り込み、混血する

シフェランは同盟の見返りとしてロロスをアルティア人の支配地とさせる。その代わり自分に有利な関税をかけた。この結果ハーディアン、特にアルティアの国力は高まり、極字開発に次ぐ国風文化の兆しを見せる。
yuuma 3658
この時期に豊かな国力を背景に国風文化を誇る風潮が高まり、文学などの余剰な学問にも注力する余裕が生まれる。ルビとして用いられていた節字の崩しはこのときまでに幾種も存在したが、政府は学者の協力の下、これらを集めて崩し字の統一規格を創ることに成功した。この規格を学者らが都で定めたことから京字(yula)という。政府は覚えるのが簡単な京字を使って文を書くよう推奨したものの、極字(sanla)のほうが見てすぐ意味が取れることからその計画は失敗に終わった。しかし完全に失敗だったわけではなく、このことがきっかけとなり、機能語は京字で記すようになった。
京字が機能語を表し、極字が内容語を表すようになった結果、これらのハーディアン文字をまとめて京極(mana)と呼ぶようになった。

<地球での経緯>

幼字は直線、曲線、丸、三角、四角のほか星型なども使うため、表意文字というよりはむしろピクトグラムに近い。線種がバラバラなので書体を作りづらく、デザインの視点で考えると漢字に劣る。線種に統一感があれば例えば直線なら直線、曲線なら曲線の書体が作れるため、書体にバリエーションを持たせるのが容易く、それゆえ芸術性に富む。こういう意味で漢字に相当するデザインの文字がアトラスにもあればと考えられるようになった。
21年に幼字がわずか444字に縮小されたことが決定打となり、漢字に相当する複雑な体系の文字が望まれるようになった。それまで漢字相当物を作らなかったのは幼字の存在もあるが、単に作業が大変で逃げていたというのもある。アトラスの文字史では幼字が根底に存在するため、神との繋がりが弱くかつ比較的高度な文明を築いた民族のすべてが幼字を発展させずに滅ぼしていったとは考えにくい。幼字を滅ぼして響字や幻字に繋げていった民族がいるのも確からしければ、逆に幼字を発展させてさらに複雑な文字体系を構築した民族がいることもまた同様に確からしい。にもかかわらず後者をこれまで創ってこなかったのはやはり作業が大変だからという実情があった。

幼字の大本は古アルカの幻字だが、古アルカのころセレンらに言語学的な知識は乏しく、そもそも子供で知識自体が足りなかった。意思を伝えるので精いっぱいで、文字の芸術性にまで配慮できなかったというのが正直なところだ。それゆえ幼字は作りが粗雑で造詣が浅い。これを今になって掘り下げて作る魅力は感じられないこともあり、444に縮小したというのもある。拙い文字なのでカルディアにおいては原初に作られた文字としてふさわしい。いくら賢い神々によるものでも最初の試みなのでこの程度のクオリティに帰着するのは無理もない。
漢字はあらゆる文字の中で最も複雑で文字数も多い。漢字と比べると同じ表意文字でも幼字の拙さが浮き彫りになる。表意文字というのはデザインの視点で見ると物凄く重要なツールなのだが、芸術用途としてカルディアを見たときにこの世界には拙い幼字しかないというのではあまりに哀しい。
セレンは個人的に漢字と墨の組み合わせを美しいと感じており、あのような表現技法をどうにかカルディアにも取り入れたいと考えてきた。かといって幻字を止めて表意文字を作るわけにもいかない。日常的な言語の使用においては表音文字の幻字のほうが圧倒的に楽だし、そもそもセレンが主張したところで受け入れられるとは到底思えない。
そこで白羽の矢が立ったのが21年にできたカレン県である。ここはアルティアの移民が多い。アルバザードは移民文化で、アルシアにはルティア人、カレンにはアルティア人がいる。ひとつの国でアルバザード、ルティア、アルティアなど様々な文化が楽しめる。そこでアルティア人の言語に表意文字を入れてはどうかと考えた。こうすれば日常は幻字で足りるが国内にはアルティア人が持ち込んだ表意文字が散見されるというデザイン豊かな街が描ける。これが京極の始まりだった。

<文字例>

最初の列は元となった幼字も加えた。
【画像】

[京極]タグ>

[京極]タグはkozueやyukiといった京極フォントを使った際、どの文字コード(漢字)を打てばその京極が表示できるかを示している。
例えばvan,altには[京極]タグがあり、「弓」と書いてある。これはkozueやyukiを使って「弓」と打てば、京極におけるvan(弓)の文字が表示されるということを意味する。つまりこの「弓」という記述は地球における京極の文字コードを示していることになる。言い換えれば、kozueやyukiといったフォントでは「弓」という漢字を潰し、そこに京極における弓の文字を入れてあるというわけである。

京極の文字コードの後に補足があればコロンを加えてある。コロンの右には京極の字源などが来る。例えばvan,altでは京極における弓の字がどのようにできたかが書かれている。

一方、ayumi,altには次のように書いてある。
[京極]即:弓/時→van,alt
上の情報は、「即」という字を打てばayumiに当たる京極が表示されることを示している。また、コロンの右にはayumiという文字が「弓偏に時からなる会意である」という補足も付されている。

他方、vanakemi,altには次のように書いてある。
[京極]弓/月
vanakemiは「弓月」という意味である。これはアルティア語の一単語であるが、文字としては二文字から成る。アルティア語において弓月を一文字で表わすことはない。従って、kozueやyukiにおいても何らかの漢字を潰すことはない。
このような場合はvanにおける「弓」やayumiにおける「即」などと異なり、[京極]タグ中で特定の一文字を示さない。スラッシュを用い、その単語が複数の字から成ることを示す。
同じスラッシュを用いるケースでも、ayumiとvanakemiの間には一文字からなるか否かという違いがある。このことは、その単語を直に示すフォントがあるかないかという違いにも繋がる。


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